ウメの歴史と文化について

ウメの歴史と文化について

◎ ウメとは

 ウメ(Prunus mume)は、バラ科サクラ属に分類される樹木の総称です。中国や日本を中心に古くから鑑賞用の庭木として栽培されています。同じサクラ属にはアンズ(Prunus armeniaca)が属しており、ウメとアンズは植物学的にとても近縁な仲間です。両種は栽培されている地域も近いため、開花期さえ合うと容易に交雑してしまい、長い間にたくさんの雑種ができています。従って、ウメの品種の中には、多かれ少なかれアンズの血筋を含んでいるものが少なくなく、アンズの品種にもウメの血筋を含んでいる種類がたくさんあります。
 現在、ウメの品種は世界で1000品種を超え、日本には600品種はあるとされています。

◎ ウメの歴史と文化

 日本にたくさんある樹木の中で、ウメほど私たちの生活と深く関わりを持っている樹木はないでしょう。ウメは「百花の魁」と言われるように、春の風物詩としても人気があります。
 ウメの原産地については諸説ありますが、一般的には中国から持ち込まれたものとされています。中国では「烏梅(うばい)」というウメを燻製させたものを、薬用中心に利用しています。日本では奈良時代、中国文化が華やかなりし頃に、ウメは観賞花として大変もてはやされ、万葉集にはウメにまつわる歌が110首も残されています(サクラは43首)。また、万葉集以外にも「梅一輪」や「凛として」「梅に鶯」などの語句がすぐに思い浮かぶように、たくさんの詩歌に詠まれています。
 サクラは満開を鑑賞するのに対して、ウメは「梅一輪」という言葉があるように、一輪でも鑑賞するところがあります。また、花の時期に合わせて「探梅(咲き始めの時期)」「賞梅(見頃の時期)」「送梅(咲き終わりの時期)」という言葉もあります。
 絵画においては、尾形光琳が描いた国宝「紅白梅図」が良く知られているところです。このように、古くから日本人はウメを鑑賞花として親しんでいました。
 現在でも、古いお宅であれば庭にウメが1本や2本は植えられており、庭木の代表となっています。さらに、盆栽での鑑賞や正月の生け花としても楽しまれています。
 一方で、今日では鑑賞よりも果実の利用が盛んになっています。あまり知られていませんが、最も馴染みのあるウメ食品の梅干しは、平安時代に日本で考案されたものです。このほか、梅酒や梅ジュース、和菓子や料理への利用など、現在ではさまざまな用途でウメの果実が用いられています。